ちょっと参考になる話


 人は子供の頃から、多くの例話を聞いて成長します。それによって受ける影響は意外と大きいものです。
 人に話をする場合、例話やたとえ話を添えることで、真の内容が伝わりやすくなります。
 ここでは、生きていく上で、生活の上で、ちょっと参考になりそうな、訓話、教訓、説話、道歌、雑学に近いもの等々を取り上げてみました。
 何かのお役に立てば幸せ感じます。


  もくじ


                         
   貧女の一灯    無罪の七施    法隆寺の七不思議    盲に提灯    過去を忘れよ    
   高いようで低いのは    ヤマアラシのジレンマ    気は長く心は丸く    茹でガエル現象    喜べば喜びが    
   青春の詩  New!  極楽、地獄の岐路  New!  十少十多の健康訓  New!  六中観 New!   君ができる限り    
                       
                       
                       
                       
                       
                       





 
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 貧女(ひんにょ)の一灯(いっとう) 長者(ちょうじゃ)の万灯(まんどう)

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 むかし、和泉(いずみ)の槇尾山(まきおさん)のふもと横山村に、奥山源左衛門(おくやまげんざえもん)・お幸(こう)の夫婦が住んでいました。子宝にめぐまれるように、いつも槇尾山のお寺にお参りしておりました。
ある日お寺からの帰り道、幼子(おさなご)の火のついたような激しい泣き声を、ふしぎに思った夫婦は声をたよりに進んで行きました。辻堂(つじどう)ののき下に、浪人のあみ笠の中にもみじのような手をふりながら、声をかぎりに泣いているではありませんか。
むちゅうでかけ寄った二人は、子どもをだき上げると、りっぱな絹の小そでに美しいたんざくがそえてありました。

千代(ちよ)までも ゆくすえをもつ みどり子を
            今日しき捨(す)つる そでぞ悲しき

このとき、乳飲(ちの)み子を捨てるせつない親心をさとった夫婦は、(きっと仏様が授けてくださったんよ)と喜びました。
「もし親御(おやご)さん、わが子を見たくなったら、横山村をたずねて来てくださいよ。」と、槇尾山に向かって手を合わせました。
夫婦は、子どもに「お照(てる)」と名付けてだいじに育てました。

月日のたつのは早いもの、小さかったお照はすくすくと美しく育ち、村いちばんのやさしい娘になりました。
お照が十六歳になったとき、ふとしたことから両親が病のとこにつきました。お照の心のこもった手厚いかいほうもむなしく、母がなくなりました。間もなく、父も後を追うようにこの世を去りました。
父が息をひきとる前に、お照をまくらもとに呼んで、その生い立ちを話して聞かせ、実の親の形見をわたしました。あいついで両親を失ったお照は、一人ぼっちのさびしさ、悲しみにくれていました。
やがて、お照は育ての親の心をありがたく思うようになりました。お照は、両親のあの世の幸せをいのるため、冥土の道を照らすという灯(ひ)を、高野山(こうやさん)の「奥(おく)の院(いん)」にお供えしようと決心しました。けれども、貧しいくらしのお照は、手元に灯ろうを買うだけのお金は少しもありませんでした。
お照はいろいろと考えたすえ、女の命とまでいわれる黒かみを切って、お金にかえることにしました。そのお金で小さな一つの灯ろうを買い求めました。お照は形見の品と両親のいはいといっしょに、灯ろうを持って高野山へ向かいました。
ようやくたどり着いた神谷(かみや)の里で、お山の女人禁制(にょにんきんせい)のおきてを聞かされました。
一心に思いつめてきたお照はおどろいて、とほうにくれました。今までの旅のつかれがどっと出て、その場にうずくまってしまいました。ただ、なみだだけがとめどなく、ほおを伝っていました。
そのとき幸いなことに、高野山から足早に下りてきた若いお坊さんに助けられました。夢のお告げで一人の娘のことを知らされて、急ぎかけつけて来たのでした。お照はお坊さんとともに女人堂まで上り、うれしなみだでほおをぬらしながら、灯ろうをわたしました。

やがて、「奥の院」のお祭りの日、新しい一万個の灯ろうに灯がともされました。おごそかなお経の声に包まれて、長者は今までにだれもできなかったありがたさに、満ち足りた気持ちでいっぱいでした。
長者は、ふと万灯に目をやったとき、見知らぬ一灯に気付きました。
「あの小さな灯ろうは、だれのものか。」
と、僧にたずねました。
「あれは貧しい娘がささげました。」
と、聞いたとたん、
「いやしい女の、明かりが何になろう。」
と、立ち上がろうとしました。
するとにわかに風がふきこんで、こうこうとかがやいていた万灯がぱっと消え、お堂の中は真っ暗になりました。
その暗やみの中に、静かに光る一灯(いっとう)がありました。両親のぼだいをいのり、乙女の命の黒かみで納めたお照のともしびでした。
このふしぎなできごとに、長者は自分の行いを心からはずかしく思い、両手を合わしました。
それから、お照のともしびは「貧女の一灯」として、長い長い年月を一度も消えることなく、今もなお「奥の院」の大きなお堂に清い光をはなっています。
その後、お照は長者の世話により、天野(あまの)の里にいおりをつくり、尼となりました。毎日まことのいのりをささげるお照は、いつしか天野の里人にも親しまれるようになりました。
ある年の冬、粉雪がまう朝、お照は慈尊院(じそんいん)への道すがら、行きだおれの老人を見つけました。
お照は、
「御仏(みほとけ)に仕える者です。どうぞ、いおりにおいでください。」
と、だき起こしました。
すると老人は、
「かたじけない、どうかおかまいなく………。人の情(なさけ)にすがることのできない、罪深い男でござる。このたび高野山へ登り、お大師様(だいしさま)のもとで一生を送りたいと、ここまで参った。どうか、ざんげ話をお聞きくだされ。」
老人は長い旅の間に妻に先立たれ、困り果てたすえ槇尾山のふもとで、わが子を捨てたことを話しました。じっと聞いていたお照は、父の今はのきわの話を思い出しました。
(もしや、このお方がお父上様では………。)
と、はやる心をおさえながら、あのたんざくの和歌を静かに読みました。

千代までも ゆくすえをもつ みどり子を………

「そ、その和歌を知っているあなたは、照女(てるじょ)………。」
「………お父上様………。」
両手をにぎる父親と娘は、このふしぎなめぐり合わせをなみだを流して喜びました。 その後、老人は高野山で僧になり、お照は天野の里でおだやかないのりの一生を送りました。

かつらぎ町天野では今もなお、お照の墓・いおりのあと・父母の墓石(ぼせき)の伝説が、ゆかしく語りつがれています。
お照るの墓は、伊都郡かつらぎ町上天野の丹生都比売神社のごく近くにあります。
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無財の七施


無財の七施(ななせ)とは、お金が無くても、地位が無くても、何の持ち合わせが無くとも、いつでも、どこでも、誰に対してでもできる布施のことです。

一、眼施(げんせ)(慈眼施)
   
   慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接すること。

二、和顔施(わがんせ)  (和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
   
   いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること。

三、愛語施(言辞施)(ごんじせ)
   
   ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うこと。

四、身施(しんせ)(捨身施)
   
   自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践すること。
   人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。

五、心施(しんせ)(心慮施)(しんりょせ)
   
   自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみ   として感じとれるようになること。

六、壮座施(そうざせ)
   
   わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバル   の為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
   
   雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思い   やりの心を持ってすべての行動をすること。

 
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 法隆寺の七不思議

 法隆寺の建立は607年(推古15年)。聖徳太子が父・用明天皇のために創建したとされています。所在地は奈良県生駒郡斑鳩町。
観光や修学旅行で行かれた方も多いと思います。
 ある地域や場所に限って起こる不思議な事柄を、昔から「七不思議」といいます。
1300年に及ぶ長い歴史を持つ法隆寺にも「法隆寺の七不思議」と呼ばれるものがありますので紹介いたします。

 
1) 法隆寺の建物にはクモの巣がない。

   クモは所かまわず巣を作るのが習性ですが、法隆寺の建物に限ってはクモの巣ができることはないという言い伝えです。

2) 地面に雨だれが落ちた穴が開かない?

   法隆寺の中は、ほとんどが土の土地ですが、それなのに雨が降っても雨だれの痕ができないという不思議な現象です。

3) 五重塔の九輪に4本の鎌がある:五重塔のてっぺんには9つの輪を串刺しにした形の九輪と呼ばれる飾りが立っています。

   この九輪には鎌が4本つけられていて、かつては鎌首がひとりでに上がったり下がったりすると言われました。

4)法隆寺の境内には3つの伏蔵がある?

   「伏蔵」とは地下にある秘密の蔵のこと。これは伝説でも迷信でもなく、実際にあります。これらは、もともとは建物の無事を願う「鎮壇具(ちんだん   ぐ)」と呼ばれる財宝を納めていたと言われます。

5)因可池(よるかのいけ)には片目のカエルがいる?

   因可池は西院伽藍と東院伽藍の間にある池。昔、蛙の鳴き声が学問にさしつかえると感じた聖徳太子が筆で目をつついたところ、この池の蛙は  すべて片目になったという伝説です。


6)南大門の前に「鯛石(たいいし)」という石がある?

  法隆寺を訪ねる人が必ずくぐる南大門の前には、魚の形をした踏み石があります。これが鯛石。大雨の時、魚はここまで泳いできたが、それ以上   は水位が上がらないことを示すものと言われます。

7)夢殿の礼盤(らいばん)の裏は汗をかいている?

  礼盤とはお坊さんが座る台。夢殿の礼盤が置かれた畳の下には正方形の板があり、これを日光に当てると、板の裏は汗のような水分があふれると  言われます。
   これはその年が豊作か凶作かを占う儀式で、汗が出ると豊作を意味したそうです。

 以上が「法隆寺の七不思議」ですが、7の以外はいつでも自分の目で確かめることができます。法隆寺へ行かれたら、ぜひ確かめればおもしろいかも しれません。

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盲に提灯


 ある盲(めくら)が一人旅をして、心安い旅籠屋(はたごや)に泊まり「あすの朝は七つ(午前四時)立ちにして下され」と頼むと、亭主も心得てちゃんと起こしてくれた。
 盲は旅の支度をととのえ、杖を持って出ようとすると、亭主がいうには「まだまだ夜が深いから提灯をおもちなされ、貸して上げましよう」と。盲は少しむっとして「何をおっしゃる、盲が提灯を持って何するもので」と断わると、亭主は「いやいや、お前様は要るまいけれど、暗がりをとぼとぼ歩いていなさると、往来の人が行き当たります。それで提灯をお持ちなされと申すのじゃ」と提灯を差し出す。盲も「なるほどそうじゃ。私から突き当たらなくても、自明(めあき)の方から突き当たる。それならお貸し下さい」と提灯を下げて出かけた。
 道の五、六町(約七百メートル)も行くと、向こうから来る人が盲にはたと突き当たった。盲は大変腹を立てて「おれに突き当たるやつは盲かいと怒鳴ると、向こうの人も癪(しゃく)にさわり「おれは盲ではない。そういう貴様がどう盲じゃ」と怒鳴(どな)り返す。盲も負けずに「いやいや、おれは盲に違いないが、決して人には突き当たらぬ。貴様が盲にきまった」というと、向こうの人もいよいよ腹を立てて「おれを盲だという証拠はどこにある。どうしておれが盲じゃ」と詰めよると「おお証拠がある。おれの持っているこの提灯が、貫様の目に人らぬからじゃ」と、ずっと差し出す提灯の火は、宿屋の門口で消えてしまっていた。

 【解説】 これは『鳩翁道話(きゆうおうどうわ)』の一節で一つの笑い話であるが、しかしこれには「人は反省が必要である。自分のいうことには間違いはないと決めてしまうと、そこに大変な思い違いがあって、人にも迷惑をかけるようになる」という意味を含んだ例話である。道話は江戸時代に江戸の町々で行なわれた「寄り合い」であり、このような暮らしの心得となることを、道話の先生が聴衆におもしろく聞かせたものであり、教訓的な話がいろいろとあった。なおこの頃でも歌われている歌に「盲に提灯いるものか、盲に提灯いらないが、目明きが盲に突き当たる」というのがあるが、この歌は多分この話から出てきたものであろう。

                                               差別的な用語が入っていますが、古い話なのでそのまま使いました。

                                                                  教訓例話辞典より引用
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過去を忘れよ


 ただ一人の愛児を失った婦人が、どう諦(あきら)めようと思っても諦めきれないで、屍を墓地まで運びながら、それを埋葬しょうともせず、朝夕その側を離れず、食も取らず家にも帰らず、ただ泣き悲しんでいた。かくすること四、五日に及んだ時、仏様(ほとけさま)が多くの弟子を連れてそこをお通りになって「あなたはその児をよみがえらせたいと思うか」とお尋ねになると、婦人は「私の命を縮めても、この児はよみがえらせたいと思います」と答えた。仏様は「それではこのお線香に火をもらってきなさい。そしたら私がお祈りをしてよみがえらせてあげよう。けれども、その火は先祖以来一人も死人を出したことのない家からもらって来なければいけない」といわれた。婦人は喜び勇んで火をもらいに行ったが、今まで死んだ人のなかった家など、どこを尋ねても一軒も見当たらない。尋ねあぐねて、そのまま仏様のもとに帰って、この由を申し上げた。仏様はそれではと婦人を見つめながら、「天地始まって以来、生きとし生けるもの、生の初めあって死の終わりなき者はない。あなたはこの道理を忘れて死児に迷っている。それほど愚かなことはない。覚(さ)めて今直ちに葬りなさい。それで愛児も浮かばれるのだ」と教えられた。婦人は夢の覚めた気持ちになって、仏様の教えに従ったという。

 【解説】 「死んだ子の年を数える」という言葉があるが、それは子に対する親の愛情の表われではあろうけれども、いくら悲しんでも祈っても返らぬことを、いつまでもくよくよと考えて悩んでも、それは全く無駄なことであるし、この仏様の教えのように、それでは子供がかえって浮かばれないであろう。これは死人の場合だけでなく、何でも過ぎ去ったことにこだわって悩むというのは、愚かなことだという意味を含めた例話である。なおこの話の題である「過去を忘れよ」という言葉は、早稲田大学の創立者大隈重信がよく使われたものだという。
                      
                                                                  教訓例話辞典より引用 


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気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば 命長かれ
気は長く 心はまるく 腹たてず 人は大きく (己)は小さく

大徳寺大仙院ご住職 尾関宗園 書
   
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